一汁一菜でよいという実践

信州のめぐる四季のなかで食と食まわりを坦々と記録する日々。余裕のない日は一汁一菜以下、そうでない日はそれなりに。

『dancyu』2017.7月号、『野菜』著:細川亜衣

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dancyu』2017年7月号プレジデント社

 

師匠のスペシャルページがあったので、迷わず買いました。

(正確には、お小遣いピンチのわたしを憐れんだ夫に買ってもらった)

 

土井善晴BOOKです。

 

じつによくまとまった16ページで、これを読むだけで『一汁一菜でよいという提案』のエッセンスは十分に吸収できます。

 

ビジュアルも考え抜かれていて美しいです。

 

おそらく『一汁一菜でよいという提案』に共感する人の多くは、家族のために毎日ごはんを作って、献立に頭を悩ませている人なんではないかと思います。

 

そうでない人にも「一汁一菜」の意味と価値を伝えようという意図があったのか、『dancyu』らしい味付けもされています。

「一汁一菜の先にあるもの」として「ご馳走の楽しみ」「酒を嗜む」「器を愛でる」の3点に言及しているのです。

 

こう来られると、グッときちゃいますねー。

ますます「一汁一菜」をやるモチベーションが上がるというものです。

 

江戸時代は、朝にごはんを炊いたらおひつに移し、昼と夜は冷や飯を食べていたそうです。

当時の人にとっても、かまどでごはんを炊くのはたいへんだったろうし、燃料を効率よく使うことを考えたら、当然の帰結です。

 

当時の庶民の食事はこんな感じだったとか。

 

朝は、炊き立てのごはんにみそ汁。

昼は、冷や飯におかず(野菜や魚)。

夜は、お茶漬けに漬物。

 

おお、まさに一汁一菜!

 

ずいぶん質素ですが、成人男性で一日五合(!)のごはんを食べていたそうなので、量は十分ですね。

 

そう考えると、土井先生の「一汁一菜」は、ご本人もおっしゃっている通り「家庭料理の初期化」なのだなぁと改めて感じます。

 

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『野菜』著:細川亜衣リトルモア

 

お次は、熊本在住の料理家・細川亜衣さんの近刊です。

 

毎度毎度ですが、細川さんの本には唸らされます。

普遍性とオリジナリティが同居するレシピ、シンプルさ、美しさ……。

 

情景が色濃く浮かぶ文章が添えられていて、料理の物語性を感じられるところもまたよいのです。

 

これほどイマジネーションを掻き立てられる、生々しい料理本もなかなかないのではないかといつも思います。

 

今回のはそれほどでもありませんが、料理写真としてはありえないほど暗く、粒子の粗い写真を使う場合もあって、それも生々しさにつながっているのかしら。

 

細川さんは、料理に対する姿勢はストイックでかっこいいのですが、
食生活はストイックではありません。

「体にいい/悪い」という言葉が出てこないのが、わたしはホッとします。

食べたいものを食べたいだけ食べるさまは、自分に正直だと思います。

 

もう1冊『パスタ』という新刊も出ているんですが、今月はお小遣いが早くもピンチなので、来月以降に買います

 

これからもずっと注目していきたい料理研究家のおひとりです。