サバイブするための料理~『たすかる料理』著・按田優子
書店に言ったら必ず料理本コーナーに立ち寄るわたしですが、先日、久しぶりに個人的な超超超ヒット作に出会いました。
『たすかる料理』著・按田優子、写真・鈴木陽介(リトルモア)
まったく前情報なしに、表紙だけ見て「これは……!」とビビビときました。
著者の按田さんのことは、料理雑誌『dancyu』でお見かけした程度で、よくは存じ上げませんでした。
按田さんの料理は無国籍で、しいて言えば中華圏と、スパイス使いが上手な国と、南米の雰囲気がすると言いましょうか。
そんな印象だけ持っていました。
この本は、按田さん自身の自炊生活と、その延長線上にある餃子屋「按田餃子」のメニューの組み立て方などが書かれています。
自炊本もいろいろありますが、かなり異色ながら、きわめて実践的なのではないかと直感させられる本です。
この人の料理はサバイブするための料理だ
按田さんは料理家ですが、料理を習ったことがないそうです。
大学卒業後にパン・菓子の製造業に携わり、ひとり暮らしの自炊などで料理を自分のものにしていったとか。
徒歩圏内にコンビニがあるような都会では、冷蔵庫を個人で持たなくてもよいのではないか? とぼんやり考えている時に東日本大震災が発生し、以降、冷蔵庫なしの生活を試しにはじめてみたそうです。
そこで得た知見・経験を『冷蔵庫いらずのレシピ』(ワニブックス)という本にまとめています。
その後、その本を読んだ知人から声をかけられ、食品加工の専門家としてJICA(ジャイカ)の仕事で計6回ペルーを訪れます。
ペルーには3つの気候があり、場所を移ると気候も食べ物も生活も変わるそうです。
体調を崩さないためには、慣れた食べ物(たとえばみそ汁と梅干しのような)にすがるというやり方ではなく、今のこの環境を受け入れるしかないと思い至ります。
その経験から、日本で染みついていた「できるだけ慣れた環境に身を置きたい」(以下、色字は『たすかる料理』からの引用)という箱庭感のある生活、食生活をやめることにしたそうです。
外から来るもの(友人が持ってくるもの、旅先で出会う食材)をどんどん生かして食いつないでいく。
「食べ物への許容は他者への許容と同じだと思っています。なんでも食べてなんでも消化して身にしていく気持ちで生きるのが、健やかだと思います。ひとつに決め込まないでなんでも試してみて、自分の状態を観察してみるといいと思います。」という按田さんらしく、来るものを拒まないことで逆に豊かで無理のない(=自分ひとりでがんばらない)食生活を獲得しているように見えるのです。
いきなり話は飛びますが、内田樹さんがブログに書いていたことを思い出しました。
哲学者レヴィ=ストロースが、ブラジルはマトグロッソのインディオたちのフィールドワークで、「ブリコルール」という概念を得ます。
ブリコルールはフランス語で、日本では「器用人」と訳されている民俗学用語のようです。
ありあわせの道具と材料で、自分の手で何がしかのモノを作る人のことを指します。
密林を歩いて移動しているインディオたちは、何かを見つけると手に取ってしばし眺め、「なんだかよくわからないけれど、そのうち何かの役に立つかもしれない」と思ったら拾うそうです。
按田さんの料理もそれに近いと感じました。
料理のやり方も独特。
通常は、「●●を作ろう」と考えて、材料を揃え、あるレシピに則って作る。
A地点(食材を揃えるところ)からB地点(料理の完成)まで一直線に進みます。
按田さんの料理は、《乗り降り自由》です。
豚肉の塊をゆでよう
→豚肉をゆでている鍋の上にセイロをのせて豆と芋にも火を通してしまおう
→それぞれの素材(パーツ)と常備している乾物、漬物、乾麺などを組み合わせて適宜食べていく……。
この写真はわたしがやってみたものです。セイロの下の鍋では豚肉がゆでられ、セイロの中ではじゃがいもや前夜のおかずが蒸されています
ゆでた豚肉の塊はしばらくもつ上、いろんな料理に展開できます。(展開していくことを、按田さんは《切り崩していく》と表現します)
按田さんは、この豚肉を《おやつ》としても食べます。(これ、わたし的には非常にナイスでした)
豚肉のゆで汁は、乾燥した海藻を入れてスープに、汁ビーフンに。
芋や豆は火さえ通してしまえば、他の素材と合わせていろいろ展開できます。
特に芋はも皮つき丸ごとであればしばらくもつので、主食としても使えます。
左/豚肉をゆでた汁はスープに。セイロで蒸したじゃがいもと、ゆでてあった大根、絹さやを合わせて。右/ゆで豚、セイロで蒸したじゃがいも、セイロで温めた前夜のおかず、キムチなどで立派な一食に
作ったその時にすべて食べる必要がない、というのも炊事のプレッシャーからずいぶん解放されるのではないでしょうか。
しかも料理として完成する前なので、その時食べたい《感じ》に合わせていくことができます。
作り置き総菜を作りすぎて食べ飽きる(わたしのことです)……という悲劇が起き得ないのです。
梅干しの作り方も、目からうろこでしたね。
当時住んでいたアパートの敷地内に梅の木があり、季節になると梅の実が落ちてきます。
それを毎日数個ずつ拾って帰り、塩をまぶしてジッパー付きのビニール袋に入れます。
ある程度量がまとまったら大きなビンに移す。
干すのも気が向けばやるけれど、という感じ。
梅仕事なんていう言葉があって、シーズンに一気に大量の梅の実をあれこれと仕込むのが普通ですが、按田さんのやり方はどこまでも無理がない。
旅先では塩を買い求めます。
けれどそれは、その土地土地の塩を味見したいのではなく、その後出会うかもしれない海産物や生鮮品を塩蔵するための塩。
いい生たらこがあれば買い、宿で塩をして包んで持って帰る。家に着くころには、いい塩梅のたらこができています。
この柔軟さ。
按田さんの食生活は、まさにサバイブするための料理なのです。
丸元淑生と魚柄仁之助と高野秀行を足してうんにゃらかんにゃらした手ごたえ
この本を読了したときの感想が、こうでした。
誰が誰だかわからない方はググってみてください。
按田さんが不快だったら申し訳ないのですが、わたしとしては最大級の賛辞です。
10代のときに魚柄仁之助さんの『うおつか流台所術 ひとりひとつき9000円』(農文協)を読んで衝撃を受け、30代で高野秀行さんの『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社)を読んで衝撃を受けたわたしにとっては、按田さんはその衝撃の系譜に連なるお方なのです。
ポイントは「パーツを作る」
按田さんの炊事の要諦は、パーツを作るという点にあります。
パーツを作るというのは、素材に火を通したり、塩をしたりということです。
そうすると、
・その時点の鮮度で素材の状態を止め、生の状態よりもたせられる
・すぐに料理に展開できる
という利点があります。
これはわたしも料理をしていて感じるのですが、野菜などを買ってきたまま置いておくよりは、すぐに手を入れたほうが良い状態で保てて、かつ料理に展開しやすいのです。
野菜なら、切って塩をまぶして漬物にしてしまう、ゆでてしまう。
肉も同じです。
今時期なら、きゅうりはすぐに鮮度が落ちるので、「これは食べきれない」と思ったらすぐにスライスして半干しにしてしまいます。
このパーツに、常備してある乾物や保存食(漬物など)を組み合わせていけば、いかようにも料理を展開させていくことができます。
そんなわけでわたしも
按田さんを真似して料理をすることが増えてきました。
まず、朝ごはん。
「平日朝はごはんとみそ汁、パンは休日」というルールを解体して、その朝の気分でつくったり食べたり、あるいは食べなかったりしています。
今は双子にお弁当を持たせなければならず、朝何かしらこさえないといけないので、何かしらできてしまう、ということもあります。
あとは、各自食べたいものを食べています。
今朝などは、まず昨夜の残りご飯に冷蔵庫にあった紅しょうが、佃煮、大葉、梅干しをのせて、同じく昨日から持ち越しのはとむぎ茶をかけたお茶漬けをまず食べました。
まだ食べたかったので、昨夜ゆでた豚肉の塊を切って昨夜使ったみそだれをかけて食べました。
それでもまだ食べたかったので、豚肉をゆでた汁をスープにして、中途半端に残っていたビーフンで汁麺に仕立てました。
(この間、夫に「悪い女だ。フフフフ」と言われていました。この言葉もわがやでは賛辞として流通しています)
あと、これは今日発見したのですが、わたしは「今夜はこれを作ろう」とやるよりも、「居酒屋gyogo開店!」というつもりで、インスピレーションかつインプロビゼーションで料理をしていくほうが気張らず楽しくできるようです。
今夜は、焼きそば麺が3玉残っていたことを思い出し、昼間焼いて出し忘れた焼きなす、同じく昼間多めに作っておいた蒸して割いておいた豚ヒレ肉などを入れた適当な焼きそばを作りました。
味見をしたら、香りと歯ごたえがほしかったので、大人はみょうがのせん切りとライムを添えました。
お酒が入って楽しくなってきたので、鉄板にシュレッドチーズを載せて焼いてカリカリのせんべい状にし、カルダモンの粉末をかけたおつまみもこさえました。
わたし自身が楽しくて、おいしくて、しかもみんなも喜んでくれて、言うことなし!
しばらく、こんな感じで作っていってみようと考えています。
按田さんはわたしと同い年のようです。
按田さんと同時代を生きていてよかった。
それくらい、わたしには得るものの大きい本でした。
これからも折にふれて読み返すでしょう。
按田さんのインタビュー記事があったので、貼り付けておきますね。
素敵な方です。
長野県在住のわたしだけど、いつか「按田餃子」で働いてみたいなぁ。